一家に一台聖女◆第五話

一家に一台聖女の世界でイケおじと暮らそう

第五話

――誰かの歌声が聴こえる。どこからか。

あれ、この声、どこかで聴いたような。

ゆっくりと瞼を持ち上げる。眩しい光の向こうに、誰かが。

■□

「おや?目がさめたみたいだね。おはよう聖女さん」

……?あれ、私、さっきまで列車でハイジャックにあって、イケおじダウニーさんと歯車をとめて、それから——。

「どうやら寝ぼけているみたいだね。大分ぐっすり寝ていたようだし。……まあ無理もないか。お疲れ様。ゆっくり目覚めのコーヒーでも、と言いたいところだけど、到着するまでもうしばらくかかりそうだ」

辺りを見渡すと、ここはバスの車内のようだった。バス、といっても、現代的な内装とはかけ離れているけど。(蒸気の出る配管やむき出しの金属の装飾と言い、ごちゃごちゃしたデザインだ)

一番後ろの座席だから、車内全体がよく見渡せる。私たち以外にも多くの人が乗車しているようだ。ブランケットにくるまって眠っている親子や、葉巻を吸いながら新聞を読む男性。座席は見たところ満席で、真ん中の通路に座り込んでキャリーケースに寄っかかって眠る人もいる。

すぐ斜め前に座るご婦人と老年の男性が、眠っている人たちを起こさないよう小声で話している会話が聞こえてきた。

「なんとか予定に間に合いそうで安心したわね。臨時車両の手配が早くて助かったわ。ホテルのキャンセル料だけは惜しいけれど」

「まあまあ、無事を喜ぼうじゃないか。聞いた話だと、歯車(ロゴス)の基幹枢軸(コア・ジャンクション)が大破したにも関わらず列車が無事停車できたんだとさ。幸運さね」

「ええっ!基幹枢軸(コア・ジャンクション)が大破!?」

ご婦人の声のボリュームが上がったため、シィーッとご老人が人差し指をたてて注意した。ご婦人が慌てて口をつぐみ、迷惑になっていないかと周囲をきょろきょろ見渡すと、ちょうど私と目が合った。ご婦人の声は全然迷惑な音量じゃなかったから、私はお気になさらず、と伝えたくて微笑んでみせる。ご婦人もほっとして私に微笑み返してくれた。よかった。(公共交通機関の、こういう他人同士のちょっとした気遣いコミュニケーション、割と好きだ)

「それにしても、基幹枢軸(コア・ジャンクション)が大破したのに、よく無事に停車できたわね。その話なら、歯車の魔法陣が展開された車両あたりは跡形もなくなっていてもおかしくなさそうだけど、どの車両も原形をとどめていたわよ」

「それがどうやら、優秀な聖女様が乗り合わせていて、助けてくださったそうだよ。ありがたいことだ」

他人事ではないフレーズにびくっと肩がはねる。もしや…と耳を澄ませたタイミングで、古びたブレーキ音をたててバスが停車し、意識がそちらに傾いた。

運転手が席をたち、車内に呼びかける。

「サラマンディーネの街に到着しましたよ、お客さんがた。降りる方は仕度してくださいね。無理に押して出ようとせんでくださいね。何もすぐ出発しちまうってわけじゃないんですからね」

何人かの乗客がぞろぞろと動き出す。私たちもここで降りるのかな、とダウニーさんに目線を向けたら、首を横に振られた。どうやら違うらしい。窓の外は異世界然としたスチームパンク・シティの光景が広がっている。ここで降りてみたかったな。ちょっと残念。

先ほどのご婦人とご老人はここで降りるらしく、いそいそと身支度をしていた。

あ、荷物棚のキャリーケース、重そうだけど二人で大丈夫かな。

ご老人がぐっと身体を伸ばして上の荷物棚からキャリーケースを降ろそうとするが、案の定手つきが危なっかしい。ご婦人の「アナタ、腰が悪いんだから無理しないでちょうだいね」という心配そうな声がする。

“お手伝いしましょうか”と声をかけようとしたが、言葉にならなかった。そういえば声が出ないんだった!どうしよう。気後れしておろおろする私の肩に、ポンと誰かの手が置かれる。もちろん、ダウニーさんの手だ。

「もしよろしければ、お手伝いしますよ。ミスター」

ダウニーさんが、すっと前に進み出て、いかにも感じのいいふるまいで二人に申し出た。「聖女さんは座ってて」というように目配せがあり、私はおとなしく座席に座りなおす。

「おお!悪いねえミスター、そう言っていただけると大変助かるよ。腰の具合が悪いもんでね」

「申し訳ありませんミスター。わざわざお手間をおかけして…!」

「お気になさらず、レディ。こちらのスーツケースでよろしいですか?」

「ごめんなさい。もう一つ、隣におみやげの包みもあるの。ああ、それです。ごめんなさいね。本当に助かります」

「いえいえ、お二方。よろしければ出口までお持ちいたしますから、どうぞこちらに」

ダウニーさんが老夫婦の荷物を手際よく荷物棚から降ろし、混み合う通路でもそつなく出口までエスコートしていく。おまけに、戻りがけでは狭い通路でぶつかりそうになったお子さんをそっと受け止め、手を滑らせて杖を落とした男性には、さっとキャッチして杖を差し出した。まさしくイケおじ。これこそ紳士。ダウニーさんの株価、上がりっぱなしです。

私の野暮ったい親切とは違うなあ、全然これみよがしじゃない。すごいな~と見ていると、ダウニーさんが座席に戻ってきた。老夫婦を助けてくれたことにぺこりと会釈をして感謝を伝える。何もしていない手前ちょっぴり決まりが悪いけど、上場企業ダウニーさんは、私の頭をポンと撫でて隣に腰をおろした。す、スマート~!

「聖女さん聖女さん、車の外を見てごらん」

「?」

なんだろう。ダウニーさんが指さした方向に顔を向ける。

外を見ると、老夫婦が私たちに手を振っているのが見えた。老夫婦だけじゃない。他の人たちも、降りた乗客がみんなでバスに手を振っている。すごい熱烈なお見送り!?みなさんダウニーさんのファンになっちゃった?

「この世界ではね。降りた乗客が、次の駅に向かうバスや列車を見送るんだ。もちろんいつでも必ずってわけではないし、都市部ではなくなりつつある習慣だけどね。たしか、異世界では珍しいって聞いていたんだけど、どうだい?聖女さん」

へえ~!異文化!ダウニーさんのファンになったわけじゃなかった!たしかに、そういう習慣、西欧にもありそう。でもなさそう。やっぱりここって異世界なんだな~としみじみ感じられる。

しみじみしている私に、「ほらほら、聖女さんも見ているだけじゃなくて振り返さないと」と言われ、反射的に手を振り返す。私以外の乗客も、みんなで。

ダウニーさんが、後ろからそっと私に語りかけた。

「聖女さんのおかげで、列車の乗客は全員無事だった。ここにいる人たちは、みんな君に助けられたんだ。そのことをどうか、誇らしく思ってほしい。聖女さん」

「……!」

――ああ、そうなんだ。それは嬉しいなあ。すっごく。

バスが動き出し、景色が後ろに流れていく。人々が遠ざかっていく中で、それでもお互い手を振り合っている。

たまたま同じ列車に乗って、不幸にもハイジャックに遭遇して、臨時のバスに偶然乗り合わせた人たちが、手を振って見送る。全員が無事に生き延びられた喜びを分かち合って、それぞれの次の旅路に進んでいけることを祝福し、その無事を祈る。

あのとき、列車の中でハイジャック犯をとめられて、あの逆回転の歯車をとめられてよかったと、いま、改めて思えた。

突然聖女として召喚されて、行くあてもないし声も出ないし、ただただ不安でどうしようもなかったけど、必死に一歩を踏み出してよかった。大丈夫、私は先に進めている。

降りた人たちが見えなくなり、乗客たちも座席に座りなおす。私も腰を落ち着けて、ふうと息をつくと、ダウニーさんのほうへ向き直った。ありがとう、ダウニーさん。そんな気持ちをこめて。

ダウニーさんは、優しい目をしてこちらに微笑んでくれた。

「聖女さん。僕たちの到着地はまだ先だ。もう少しの辛抱だから、くつろいでいるといい」

素直にこくんと頷き、窓の外の景色を眺めて時間を潰すことにする。異世界の街並みは、見ているだけでも十分すぎるアトラクションだ。

――そういえば、私は今どこに連れていかれているのだろう?