雨の日
君が目を覚ます。そこは湿った庭園のあずまやだった。しとしとと降りしきる雨が、草木のにおいと混ざり合って、君は不思議な落ち着きを持っていた。あずまやの屋根にあたる雨音だけが響いてから、君は立ち上がった。サンダルはぶかぶかだ。脱げないのは、足首のストラップのおかげらしい。足をひょいと持ち上げると、足首のストラップからつり下がって靴底がぶらぶらと揺れる。そのまま君はあずまやの外へと踏み出した。雨がしとしとと君を濡らしていく。君はサンダルで来てしまったことを、とても後悔したようだった。
あずまやから伸びる道を君は歩く。君に道を示すのは、心もとなくところどころに埋められた石畳。庭の花や樹木がりっぱなだけに、頼りない道しるべが際立っている。この道で合っているのか。君はどこへ向かうのか。ぬるい雨と風。今は一体いつの季節だっけ?
「やあ君。どこへ行くの?」
郵便ポストが君に話しかけてきた。真四角の、すすけた深緑の郵便ポスト。投函口の文字はみんな苔むして読み取れない。年季ものだ。
「どこへ行くの? こんな雨の中、レインコートも着ないで」
君はわからない。この先に何があるのか。レインコートをどうして持っていないのか。
「この先にはいかないほうがいいぜ。きっと後悔するよ」
軽薄そうな声色で郵便ポストが言った。君は突然、郵便ポストが喋っていることが気色悪いように思われて、後ずさりした。
「おいおいどうしたんだよ。レインコートも着ないで。サンダルの君」
君は走り出した。ぺったんぺったん。びしゃんびしゃん。濡れたじめんを走る間の抜けた足音が響く。
「おーい! 待てよ~! 俺はここから離れられないんだ!!」
背中のほうで郵便ポストが叫んでいるけれど、君はなんにも答えなかった。一度だけ振り返ったけど、深緑のポストは木々にまぎれて植物のようだった。
君が進む道に石畳はなくなっていた。そこは地面がはげて黄土色が見えているだけ。雑草が生えていない道筋を、君はなぞるように進むだけ。誰かが先に進んだと思うだけ。雨はやまない。ぬるい雨。上着はびしゃびしゃで、乾いているところなんかなくなっちゃった。後戻りするの? あの郵便ポストの脇を通って。
進んで進んで。サンダルの中には、雨と土、砂と石ころが入ってきてぐちゃぐちゃだ。歩くたび足の裏にぺたぺたざらざら嫌な感触。でも履いていないよりマシだよね? 喉がかわいた君は空を仰いで大きく口をあける。ぬるい雨がぽつぽつと舌にあたった。
「喉がかわいたの?」
空を仰ぐ君を、綺麗なフランス人形が覗き込む。背がとっても高い。マネキンみたいだ。フランス人形はカトラリーを運ぶワゴンを持っていた。ティーセットも持っている。
「何か飲む? 紅茶はお好き?」
君はのどが渇いていて、それから紅茶も好きなのに、なんだか怖くて首を横に振った。
「どうして嘘をつくの?」
フランス人形が首を傾げる。心底不思議そうに。
「私の名前はローゼル・ヘーゼル。ロゼって呼んでもいいわよ。もちろん、ヘゼでもいいの。どちらでもいいのよ。サンダルの君? あなたはどっちにするのかしら」
君はどちらでもよかったし、どうでもよかったのかもしれない。悩んだ末に君は「■■」と彼女を呼ぶことにした。ローゼル・ヘーゼルは笑った。そうだね。君は今日から彼女を■■と呼ぶといい。
「紅茶はお好き?」
それでも君は飲まなかった。