私のヒーロー
「嬢ちゃん、怪我はないか?」
そう言って振り向くダイターさんは、ついさっきまで大狼の群れと乱闘を繰り広げていたとは思えない、さっぱりとした笑顔を浮かべて振り返った。傷一つないその姿と、赤に塗りつぶされた旅装束がひどく不釣り合いで、だけどそれがむしろ普通のことに感じてしまうのは、私がダイターさんと長い時間を過ごしたことの証明だろう。
「はい、いつも通り。ダイターさんが全部防いじゃうんですもん」
私がシミ一つないマントとスカートを持ち上げてひらりと揺らすと、ダイターさんは満足そうに笑った。伸びかけの顎髭をざらりと撫でて、三日月のように目を細める。
「当たり前だ、俺がついてるんじゃな。嬢ちゃんには誰一人傷をつけられねえよ」
怪我で引退は当たり前、命を落とすのも珍しくはない冒険者たちにとって、ダイターさんの物言いは自信過剰で癇に障るものらしかったが、その言葉が嘘ではないことは一緒にいる私が一番よく知っている。人脈がそのまま仕事につながる冒険者なのだから、もう少し言い方に気を付ければいいのにと思うこともないではない。ただダイターさんのこんな短所のおかげで、駆け出しの半人前冒険者でしかない私が国全体でも指折りの実力派冒険者とパーティを組めているのだから、むしろこのひねくれた性格に感謝してもいいくらいだろう。
はじめ、ダイターさんとパーティを組んだばかりのとき、足手まといになるばかりで全く役に立てないでいた私は、ダイターさんにどうして自分を選んだのかと聞いた。あそこには私以外にもたくさんの冒険者がいて、ダイターさんのちょっと難のある性格を差し引いても彼とパーティを組みたいと、その多くが思っていた。私より経験の長い冒険者、貴重な回復魔法を使える神官騎士、特殊な薬を扱う妖術師など。家を飛び出して冒険者になったばかりの私など、選ぶ理由はないはずだったのだ。最初は選ばれたことに浮かれて気にしていなかったけれど、ああも失敗続きだと、前向きな気持ちなど持ち続けられるわけもない。こんな情けない思いをするのは実力不足の私なんかを選んだダイターさんのせいだ、とまで思っていた。
納得のいかない答えだったらパーティを解消しよう、と私がひそかに決めていたことに感づいたのだろうか。ダイターさんはいつも口端に浮かべている軽薄な笑みを消して、まっすぐな目で私を見た。何日か一緒にいたが、真面目な表情のダイターさんを見たのはあれが初めてだったと思う。
「嬢ちゃん、俺はこんな終わってる性格だからさ、仲間内での評判がすこぶる悪い。いや冒険者どころじゃなく、領主連中まで悪評が届いてる始末だ。噂を知らない人間にも、この傷のせいで怖がられたり避けられたりしてね。そういうの、この数日で見たんじゃないかい」
確かに、ダイターさんはその性格を抜きにしても、顔を鼻にかけて大きく横切る一筋の傷のせいで、近寄りがたい雰囲気がある。子供が怖がって道の端に避けたり、宿のおかみさんが嫌そうに鼻にしわを寄せるのを見た。個人的には、そんなに怖くは思えないんだけど。ダイターさんの長い前髪に隠れた瞳は、よく見れば強い信念をたたえてきらきらと青く輝いている。常に浮かべているうさん臭い笑みでかき消されているけれど、実はとてもまっすぐで誠実な人なのではないかと、一年近くを一緒に過ごして感じていた。
「だからさ、嬢ちゃんみたいに素直で純粋な子が一緒にいてくれるだけで、だいぶ仕事しやすくなるのさ。実際、この数日でいつもの2倍は仕事をもらえてるからな。嬢ちゃんにしかできない一番のサポートなんだぜ」
だから、やっぱりやめますなんて言わないでくれよ。そういってくしゃっと笑ったダイターさんの顔がなんだか幼く見えて、私は単純にも、それでいいかと思えてしまった。今思うとうまく言いくるめられただけかもしれないが、ダイターさんが私に価値があると感じてくれているうちは、この生活もいいだろう。私はダイターさんの返り血で汚れたマントを受け取って、洗濯女の知り合いの元へと急いだ。
「嬢ちゃん、次はちょっと遠出だな」
何でもないように言ったダイターさんの目的地とは、王都だった。確かに距離も遠いけれども、それより領主の息子と一緒に学校に通うような田舎町で生まれた私にとっては、むしろまだ見ぬ都会、それも王様のおひざ元である王都に足を踏み入れるということのほうが、よほど衝撃だった。ふわふわとしたまま王都への旅路を続けてきたが、ダイターさんがいるのだから特段の危険もなく、王都の入り口、巨大な門の前にまでたどり着いていた。
私の背丈の10倍はあろうかというその威容に、私だけではなく旅の道連れとなっていた旅人たちもみな一様に口を開けて見入っている。その先頭を、ダイターさんはまるで慣れ親しんだ冒険者ギルドにでも入るかのように自然に歩き、門番に一枚の紙を見せる。すると、門番は心得たようにその巨大な門を開いた。
背後で門がゆっくりと閉まっていく音を聞きながら、私はダイターさんに尋ねた。
「ダイターさん、通行証なんて持ってたんですか? 私、王都の警備があんなに厳重だってことも知りませんでした」
ダイターさんは何でもないことのように、「一部の冒険者は顔が利くようになってるんだ。国への貢献と引き換えってことだな」と返す。そんな制度があるなら冒険者ギルドで噂になってもいいものだけれど、これまで巡ったギルドでダイターさんほどの腕利きはいなかった。おそらく、誰もその資格に合致する人間を知らなかったのだろう。ダイターさんはところ構わず自慢をして回るような人ではないし。そんな貴重な証を無造作に胸ポケットにしまい込んだダイターさんに呆れたまなざしを向けつつ、私は街をざっと見渡した。
どうやら、門を入ってすぐは旅人向けの施設が多くなっているらしい。換金所、冒険者ギルド、旅人向けの安宿、銀行屋。おそらく王都で一番値段と質が釣り合った宿屋はここのものだろう。これ以外は、高すぎるか安全が保障されていないかだ。いくらダイターさんが強いと言っても、ダイターさんが部屋を留守にしている間に荷を狙われたら、もしくは連れの私に目をつけられたら危ない。そのため、宿だけは信頼のおける場所で取るというのが、私たちの旅での決まり事だった。
「ダイターさん、今日の宿はあそこにしましょう。私、値段交渉をしてきますね」
しかし、今日に限ってダイターさんは私を止めた。知り合いが経営している宿を安く利用できる、とのこと。ダイターさんに王都の知り合いがいるということも初めて知ったので、私は驚いた。ダイターさんが向かったのは王都でも城や教会に近い、高級住宅街だったので、なおさらだ。しかし、知り合いが経営しているというのは本当のようで、宿のカウンターから出てきた主人とおかみさんは親しげにかわるがわるダイターさんを抱きしめた。
私が戸惑いを抱えたままそっと後ろに立っていると、それに気づいた主人が問いかけるような視線をダイターさんに向けた。ダイターさんは笑って言う。
「ここまで一緒に来たんだ。ミントって子だ。素直でいい子だよ、俺達にはちょっと似合わないかもな」
ダイターさんがいい子だと褒めてくれたのは嬉しかったけれど、俺達という言葉に、線を引かれたような気がして少し寂しかった。ダイターさんに仲間だと紹介してもらえるまでには、私がダイターさんと過ごした時間は足りなかったのかな。
夜。一人部屋で寝るのはいつものこと。家を飛び出してからはどこでも寝られるようになったし、昼の疲れを取るためにぐっすり寝ることも習慣になった。だから、真夜中に目を覚ますのなんて本当に久しぶりのことだった。
ベッドに仰向けに横になる私の目の前に、ダイターさんがいた。目を開けた私に、驚いたようにほんの少し目を見開く。それを、いつものうさん臭い笑みで覆い隠した。
「あ~。目が覚めちゃったか。この一年でだいぶ感覚鋭くなったもんな。大したもんだよ。気づかないでいられりゃ楽だったのにな」
いつもの癖で、顎を撫でる左手。ダイターさんの伸びっぱなしの顎髭は、いつの間にかきれいに剃られていた。夜、食事を終えて就寝の挨拶をした時には変わっていなかったのに。ぼんやりと暗闇に浮かぶダイターさんの姿は、粗野な冒険者だった数時間前とは全く異なる風体で、撫でつけられた髪ときっちりと着こなした装束はまるで王都の貴族のようで。その逆の手には、細いロープが握られていた。
なんのつもりですか。努めて普段通りに出したはずの私の声は、空気を揺らすのすらはばかっているようなかすかなささやきとなって私の耳に届いた。
「嬢ちゃん。この一年、本当に助けられたよ。『冒険者としての俺』にとって、嬢ちゃんはなくてはならない存在だった。嬢ちゃんみたいな、どう見ても駆け出しの冒険者、って女の子がパーティを組んでくれるだけで、得体のしれない男への警戒心もぐんと減ってさ」
ダイターさんの左手が私の髪を撫でる。その手つきは、まるで恋人にするようで。その眼差しは愛しげで。しかし、ダイターさんが悲しげな表情を作って見せるのと同じくして、その手はなんの逡巡も見せることなく離れていった。
「でも、この王都じゃ、俺は冒険者じゃないんだ。今まではこれからのための準備でさ。その俺の横に君がいるのは、まあ、端的に言うと都合が悪い。君は、あまりに冒険者らしすぎる」
ダイターさんの言うことには確かにうなずけた。今のダイターさんの横に私がいたら、大層奇妙に映ることだろう。だからと言って、こんなふうに口封じをする必要がある? 私の目から、その疑問を感じ取ったのだろう。ダイターさんはいつもの貼り付けた笑みを消し、私を青い瞳でまっすぐに射抜いた。
「『冒険者』のダイターを知りすぎてる女の子は、ちょっと都合が悪いのさ。君が望む望まないにかかわらずとも、君は利用価値がありすぎる」
真面目な表情のダイターさんを見れるのは、私の特権だと思っていた。ダイターさんのまっすぐな眼差しを受けるたびにうれしく思った。こんなに冷たく、こんなに恐ろしいと思ったことは、一度もなかった。
ダイターさんの温かくかさついた手が、私の首にロープを幾重にも巻き付ける。私はそれをただ黙って待っていた。ダイターさんが私の額にその唇を押し付けたのを感じて、私は目を閉じた。
ああ、やっぱりダイターさんの言うことは間違ってなかった。私に傷をつけられるものなんていない。ダイターさんがいる限り。
「ありがとうな、ミント」
名前を呼んでくれたの、初めてですね。おやすみなさい、ダイターさん。
願わくば、幸せな夢の続きを見られますように。